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2013年6月20日木曜日

SWITCHインタビュー<< 熊川哲也×藤田晋 >>

This article is only Japanese version. Please be patient another English one!


The SAX最新号で、ドゥラングル教授が表紙&インタビューで載っていたので見ていたら、1ページ目に個人的にはすごくグッとくる言葉があった。
引用ではなく、うろ覚えですが・・・

伝統的な、クラシック音楽を演奏していくというのは、それを絶えず現代化していくことだ。
(略)
ずっと同じ事をやっているだけなら、博物館と一緒だ。



久々にキーボードを叩いて、調子に乗りますが・・・笑

先ほど、録画していた番組を見たんです。
NHKの(またか)、SWITCHインタビューという番組。
プロフェッショナルとはまた全然違いますが、異なる世界のプロフェッショナルどうしが対談する、という番組。

小山薫堂さん×佐藤可士和さんとかはわかるんですけど(クリエイター同士?みたいな。厳密に言えば違うのかもですが)、
なんで?wていうのは、葉加瀬太郎×宮藤官九郎。
これは一番謎で、だからこそ面白かった。笑


で、先ほど見たっていうのは、藤田晋×熊川哲也。
前者はブログのAmebaとかをやってる会社の社長で、後者はバレエのプロフェッショナル。
余談ですが、以前からずっと彼のバレエを生で見てみたいと思いながら未だ・・・ 今年中に行けたらなあ〜


何がどうなってこの二人の対談になったんだろうっていうのはわからないのですが、これがやはり面白かった。
以下、ネタバレ含みます。ネタバレが嫌でしたら、ブラウザを閉じちゃってください。
長いですから。笑 では。


敷居が低い/高いって何だ?


その対談の中で、バレエをいろんな人に見てもらうには、とか、その熊川さんのバレエビジネス?の話で出てきたりするんですね。


「バレエをわかってもらう手段として、目の前で踊ることが一番手っ取り早い。
来てもらった時にはそれができるけど、来さすまでには、熱く語らなきゃいけない。
そしてそこに正直さがないと人は絶対心が動かない。」

「敷居が高いのは当たり前。でも日本は人が埋まらないから敷居を下げようとする。

・・・そうじゃない。

わかんないんだったら勉強しろよ、と。敷居を越えて来いよと言いたい。」


そしてそれに対し、藤田さん。
「売れないから下げたら、もっと売れなくなる。(その意見、)正しいと思いますよ。」


実際、価格に関してのみになるかもしれませんが、
マクドナルドの原田さんが、「価値を上げて価格を上げる」みたいな話をしていたけど、まあようするにそういうことじゃないかな。


それにしてもまあ、このハイカルチャーを敷居を下げてみんなに知ってもらおうとしているような人が多い中、熊哲すごいよなあと思いますよ。
(いきなりキムタク的呼び方かよw。。。)

先日川越シェフが自分のレストランの食べログについて言及したら炎上したっていうのがありましたが、これ熊哲が活字で書いたら、それこそ炎上騒ぎとかなるんじゃないかなあとかw


でもですよ。
確かに、私も今までずっと、というか今でもちょっとは敷居を下げるべき、というか、取っ付けるフックぐらいはあった方がいいと思うんですが、
実際それで取っ付いて貰っても、その後一緒に上がっていくっていうのは難しい。

だってどれだけフックが低い位置にあっても、
人がとっ付いてくれるタイミングは違うし、速さも速くね?遅くね?っていろいろあるわけです。
いつまでも待ってるだとズルズルと下がる。維持できたとしても、上がりはしない。



遅くね?って人は、例え最初のフックから離れても、違うところにまた食いついてくれる可能性があります。
しかし、速いな、ああもう私はついていけません・・・ ってなったら、それはもう極端な話、というか残念ながらそこでおしまいだと思うんです。


実際、私はバレエ全然わかんないんです。ゴメンナサイ。
(むしろ、これは私はさすがに勉強しないとな、というか勉強したいなと。)

ただ、友達に誘われて行ったりとかしますし、
最初に熊哲のバレエを生で見たいと言ったのは、テレビで言ってる感じであるとか、踊っているところから「綺麗だな〜」以上の何かを感じるからです。
たぶんね、綺麗だな〜だけだったら、ナマいって申し訳ないですけどテレビで十分です。
でも、そうじゃないから、違うんだろうな。



ただ、もしですよ。
ドゥラングルさんが意図してるところではないと思いますけど、意訳をしたとして

「絶えず現代化すること」

が、もし敷居を下げることだったとしたら?
(※多分彼の意図してるところではないと思う、ともう一度言っておきます)
勉強せずとも楽しめる、それも安値で!だとしたら?


だってもし、誰も勉強してくれなかったら、その敷居を飛び越えてはくれないわけです。
そしたら、誰もお金を払ってくれないということだから、結局のところ生き残れないということになります。
生活できない。

人が芸術にお金を払う、ということは、
今の時代にそれだけの価値があり、(社会的に、あるいは個人的に?)必要とされているということで・・・
その証明が、ある意味お金に変わってるだけじゃないか?って思うんです。



来てもらう手段が違うだけの話ではないか。

今書いてて思ったんですけどね。

その敷居を下げるサイドも、その敷居を飛び越えてこいよサイドも、
結局のところは来て欲しい、見て欲しい、感動してもらいたいが目的なんじゃないかと。

で、来てもらうための手段が、
熊哲だと「熱く語る事」であって、
敷居を下げるサイドは、「実際見てもらう」あるいは「少しでも観客目線に立ってみること」なのかもしれません。

そもそも、私はその敷居を下げるサイドがじゃあ実際に何やってんのかって、あんまりわかっていないで書いてるところがあるんです。

じゃあ自分のいるフィールドだったらどういうことだろうって思うと、・・・ちょっと思いとどまる。

どこまでが「低い」?
そもそも「裾野を広げる」とどう違うのか?


アウトリーチ活動は「裾野を広げる」?「敷居が低い」?

そもそも、彼は「人が埋まらないから敷居を下げているんだ(けど、それは違うと思う)」と言っているけれど、それは値段の話?
それとも、そのバレエについて「これはこれこれこーいう歴史があって云々」って"わざわざ"解説してるあたり、「敷居を下げている」?


お金に関して。確かに、あります。
オペラとかでも、公演○日前になると、チケットディスカウントするようなシステムがあったりとか。
でもそれって最近だとホテルとかもそうですよね。
空き室(在庫)抱えるぐらいなら、安くても売ってしまえ、じゃないけど。



値段の問題

正直、ここに関してはどうこう言える問題じゃないんですけど・・・

別にぼろ儲けしたいわけじゃないですけど、ただココに関してはそれこそ値段を下げてばっかりじゃ、事業を続けられなくなる。

でも値段が高いと、やっぱりそれだけ敷居が高いのかな、とか初めての人は躊躇ってしまうっていうのは、すごーくわかります。


ああ、だからそうか、値段の部分の「敷居を下げる・上げる」か。
私はここに関しては、下げるべきじゃないと思います。先に挙げた原田さんじゃないけど。



「勉強」?

一応ね。中学校とかで多少はやってるはずなんですよ。バレエとかも。入り口案内程度。

興味が有る人には、とても便利な時代です。
即ググればいいんです。Wikipedia先輩が教えてくれます。ちなみにLinkは白鳥の湖の頁。

で、バレエに興味があるけどどこから見て・勉強していいかわからない人は、
とりあえずまずは行ってみればいいんじゃないかな。って思うんです。
それこそ熊哲のバレエカンパニーでも良し、適当に
「バレエ 公演 ○月」とかでぐぐっても出てくるんじゃないですかね。
それで、見た後に「へえ!」ってなれば、その公演について勉強すればいい。

しかも行ったら大体チラシとかもらえるし。そこからまた面白い公演を見つけてみれば面白いかもしれません。


だから、ここの部分では、何らかの活動をこちらから出来る余地があると思うんです。
敷居を、というよりは、裾野を広げる、なのかなあ。

(書いてて結局そうなりましたが)やはりそれは熱く語る事なのか。

内容は、そのバレエそのものなのかもしれないし、公演に対してのことなのかもしれないし。


今、そういえばそれに近いことを自分がやろうとしていて。
それは敷居を下げるということよりは、裾野を広げる、なんですね。

裾野を広げる→ 接点を増やす。最初のフックをつくる。か。


結局、敷居を下げる・下げないは値段なのかな。
そしてそれの落ちどころはどこなんだろうな。

うーん、ちょっと考えるにはいい機会になったかもしれません。


ちょっといろいろ削ったり書けてない、根拠が弱いところがあるので(それでも長い)、
いろいろ突っ込めるところがあると思いますが。
皆さんは、どう思われますか。

2013年4月25日木曜日

社会彫刻/伊勢谷友介 (Only Japanese)

先日読んだ本。
ちょっと、考えさせられるような本が読みたくて、いろいろ読んでは考えたりもしたけど、これが一番いろいろ思うことがたくさんあったように思う。



伊勢谷友介/社会彫刻

社会彫刻、というのは、ここから取ってきたみたいです。
ドイツの芸術家、ヨーゼフ・ボイスが「すべての人が芸術家である」という考えだそうで、彼の考え方や活動の仕方なんかが、これに近いんじゃないの?と指摘(コメント?)された事があるとかないとか。





彼のクリエイター仲間(※彼は東京芸大の美術卒業なのです)と、
社会が直面している課題と向き合い、新しいアイディアで解決していこうという理念の元、結成した会社「リバースプロジェクト」の話が中心です。
そもそも彼が何故そういう会社を設立するに至ったか、という話なんかもあったりして。

あまり、俳優としてうんぬんという話はないかなあ。
俺はこういう大学生でした〜とかそういうのもあるわけではなく。

主に、先に言ったとおり。
そのリバースプロジェクトの実際やってきた歩みだとか、彼らの考え方、そして設立者の伊勢谷さんの哲学に触れる、とまあそんなところでしょうか。

あまり、芸能人(俳優)ではこういうところまで考えを、しかも若いうちから言う人って少ないように思います。
まず、バックグラウンドも特殊だし、俳優業や監督業がメインじゃないから比べてもいけないんでしょうがw


そして冒頭で述べたとおり、その彼らの哲学には、とても考えられた跡がある。
クリエイターさんたちの何が面白いってその考え方が面白いんだけど(だからなのか、そういう人たちの本読むのが好きなんですよ。)、ただ面白いだけじゃなくて。


本そのものには詳しくは触れませんので、皆さんもし興味あれば読んでみて下さい。
大事なのは、その後自分の考えに触れる、あるいは他の人と意見を交換することかもしれません。



どうやってアクションを起こすのか?

彼らもやはり震災後、何が出来るのか?を考え、動いてたそうです。(Twitterなんかで見てる方はご存知かもしれません。)
その考えについては本を読んで頂くとして・・・


私自身、何か出来ないかと悶々として、ーその悶々としていた跡が過去Blogを見ると
それはよぉ〜〜〜〜く書かれています。

なんかすんごい面倒くさい持論をぶああああっと書いてる日もあったなあ。
(そういう日があってもいいと思うけど。なんか必死さというか、何か、その時の勢いがあります。。)


自分は、実際何をやったんだろうって思うと、まずその地震があった年に行ったDuo recitalの売上すべてを寄付、それから昨年夏に実際に被災地を訪れ、訪問演奏をしてきました。


お金そのものの額としては、間違いなくリサイタルの方が多いです。
が、実際に自分が何か出来たなと思うのは、やはり被災地に自分が行った時の方でしょう。



私の、その書きなぐった感じのブログには
「音楽で社会貢献出来る人間になります」とあって。

未だによく考える。社会貢献、それも音楽で、って、なんだろう。


そして、あの頃(震災起こった当時)から、私は何を考えて、いくつ行動出来たかな。
ーいや、読んでいたら、私はこんな気持ちに襲われた。

その時の方が衝動的とはいえ、もっとたくさん考えていたのではないか。


そりゃ、四六時中そればっかり考えてるわけにはいきません。
ただ、なんだろうなあ・・・
あの時は偉そうに自分も新しいアイディアを!解決策を!ぬおおおとか言ってたけど ーそしてそれをすぐに実行出来るものばかりではないけれどー、 じゃあ実現のために何かやれたのか、何か考えてたのか、
あるいは実現したいアイディアや、震災から時間が経った今の自分の頭のなかと、世の中とをちゃんと見ていたのか・・・etc.

悪い意味じゃありませんが、ちょっとこう、鉛を飲んだような気持ちになって。



別に、震災復興の為、だけじゃなくていいと思うんです。
他にも、身近にもっと社会が直面している問題ってあると思うんです。

それこそ音楽でいくと、音楽産業の衰退、クラシック音楽みんな聞いてくれないよぉ・・シクシク・・・しかり。
(社会の、とまでいかないかもしれないけど、それでもオーケストラなどの文化事業が衰退の一途を辿っているよぉ・・・シクシクは社会問題と言っていいんじゃないでしょうか)


その為の解決のアイディアって何だろう。
いろいろあると思うんですよ。

でもそのアイディアが自分の中にも少ないし、そもそもその問題について誰かと意見をぶつけた事がない。


まず、わたしの中の、問題。


いつまでも勇気がないとか時間がお金がないとか言ってる場合じゃありません。
時間とお金はアイディアの元に集まるー かもしれません。
少なくとも、やってみないとわからない。



以下、抜粋。


自分の人生を逆算してみて、最も精力的に活動できる時間を55歳までとすると、社会に出てからだいたい30年から35年しかない。
(中略)

その時間を、どう使いますか?

2012年11月29日木曜日

Beyond Talent(日本語)

I wrote about same stuff in English here. So I'm gonna new one tomorrow!

実は、昨日この作者が学校に来日しまして。(これが初の日本上陸らしいです。ほー!)
そのことを前々から掲示板に貼ってあったので知ってはいたものの、レッスンかぶってるから無理かなあと思っていたら、先生がむしろぜひ行ってきなさいと勧めてくださり、参加できました。
(ありがとうございました!)

事前にアマゾンでポチっとして、結局これ受講した時は3分の2までしかいけなかったんですけど・・・
講習はその内容を知らずともとても有意義で、楽しい時間でした!

その著者、アンジェラ・ビーチング氏は現在マンハッタン音楽院(趣のあるいい学校でした~)で、ディレクタとして働いてらっしゃる方です。進路アドバイス的な立ち位置なのかな。
もともとはチェリストであり(今も?)、今はコンサルタントのような仕事をしているとのことで・・・
この本の内容もとてーも多岐に渡ります。

たとえば私が心理学をかじったような本で得た知識や、ビジネス書を何冊か読んで得たものが、
ほぼすべてここに集約されているといっても過言じゃないです。

たとえば
  • お金関係の話(確定申告とか!大事よ!)
  • 演奏するための準備(精神的部分も、フィジカル的部分も)
  • ステージマナーって言うけど・・?
  • 書類関係の話(契約書ってどうやって作るの?)
  • 自分の宣伝のために何をどう準備すればいいの?(宣伝写真とかプロフィールとか履歴書!)
  • 実際どんな機関がどんな助けをしてくれるの?助成金事情教えて!
  • どう売り込んでいけばいい?

などなど、「そんなもんなんとなくわかるようになるさ」で放置されていたことやら、実際聞きたいけど聞きにくいかもという話まで、
職業演奏家としてやっていくためには知って損はない話が網羅されています。

更には、誰も教えてくれない話の例として、いい握手の仕方とそうじゃない握手の仕方なんてところにまで話を伸ばしています。
そこまで教えてくれちゃうの?過保護じゃない?と思うかもしれませんが、まあ逐一変わる部分もあるし。ここにすべての答えが乗ってるわけじゃありませんが、少なくとも、「あ、そういえばこれってどうやるんだろう」と疑問を提示してくれるでしょう。



もともと、私は職業演奏家=自営業であるから、自分で切り盛りしていかなければならない。
それは起業家ともいえるだろうし、社長という言い方も出来るかもしれない。

更には、どんなチャンスがいつめぐってくるかもわからない、いつでもそのチャンスを掴めるようにしておく事が必須であり、それはつまりいつでも就職活動中みたいなものだから、
まあキャリアの半分以上は就活みたいなもんですよね。

つまり。

音楽家= 起業家 × 一生就活

なんかこんな感じなのかなあって思っていたんです。
(あとはプロジェクト・ベースで仕事を動かしてるようなところがあるので(しかも同時進行でいろいろ。決まったオフィスもないし)、巷で流行りの?、ノマドワーカーみたいな感じとも言えるか?)


そしたら、やはり著書の中でも、音楽家は起業家である、というような趣旨のことが書いてあって。
ちょっとびっくりしたけど、あ~間違ってなかったのかなあなんてひっそり答え合わせをした気分になったり。



勿論、演奏がしっかり出来るのは当然ですが、残念ながら生き残るのが演奏が上手い人、とは限りません。
それに、演奏が上手ければいいやみたいな、そういう考え方では職業としてはやっていけないのが現実。
振る舞いも大事だし、そういったことにも話は及んでいて。

私も実際コンサートをやった時に、知り合いからお金をもらうなんて(しかもプロじゃないのに)、なんだかなあと引けを感じたことはありましたが、
多分その感覚って一生続くんです。 どっかで何かしなければ。

お金は降ってこない。ならば生み出すしかない。そのためにはどうするか?

こればっかり考えても、って思うかもしれませんが、ここを考えられなければ次のプロジェクトも進行出来ませんし。
ビジネス感覚を養う手助けになるかもしれません。



ステマ(ステルスマーケティングの意。平たく言うと「やらせ」ですね)ではありませんが、この本はほかの本3冊買うよりお勧めです。
・・・あ~、本も、それなりの値段が付く=それだけ価値がある、ということなの、か・・・?

とはいえ、大本はアメリカのものなので、日本だと違う場合も結構あります。(大体は「日本では:」とついていますが)

翻訳本特有の読みにくさもあまり感じることなく読み進められました。
時間がかかってもいいですし、順番通りに読まなくてもいいと思います。今必要なことを、必要に応じてみるのもいいかもしれません。(辞書みたいな感じで)




でもやっぱひとつ文句があるとすれば、やっぱりお値段です・・・
ちょっと学生には手を出しにくい。(それだけ出す価値があるとしても。)

ちなみに3000円+税です。 貧乏学生暇なし金なしなのにみたいな。
(ただし、くどいですがその値段出す価値はあると思います。)

これって、電子書籍なら多分もう少しローコストでいけるんじゃないか?と思うんです。
装丁や物流にかけるコストをカット出来ればいいのでは??と。

勿論、その辺はちょっとよくわからないのでなんとも言えませんけど、
それでも電子書籍のものって、普通の紙の本より安いですよね。

Kindleや7インチタブレットが主流になれば、こうした良書も広く行きわたるのではないかなと期待しているのですが、果たして。
(著作権の問題などなどいろいろあるとは思うのですが、そこもどうかパスして頂きたいですね。)

あるいは、英語を読めるようになるといいと思います。(私もそうなりたい・・・)
何せ、英語版なら、翻訳とかしないわけですから。1000円ぐらいです。・・・円高とはいえ3分の1の値段って・・・
なんかその3000円の中に何が含まれてるのか気になりますけど、・・・ええ気にしないことにしますよ、はい・・・。ひーとみぃーをとぉーじてえー・・・


余談ですが、サインまでちゃっかりもらいました。
ということで、相変わらずミーハー全開のKでした。 興味あればぜひぽちっとしてみてください。



2012年6月29日金曜日

これからの音楽の話をしよう


コンサートの話は昨日英語で書いたのですっ飛ばします。
今日はその行った時思ったこと。主に音楽をビジネスとして成り立たせることがうんだらとかそういう話です。

誰もしないから、書きます。

そういうお金の話とか嫌いな人はどうぞ、ウィンドウを閉じてください。それがお互いのためです。ちなみに具体的な施策があるわけでもありません。
ただ私は、もし職業音楽家をやりたいなら、プロの音楽を聞きたいなら(私からすれば「聞いてくれるなら」になる、と、いいなあ。笑)。
この問題は避けては通れないし、むしろ避けてはいけないと思います。

いろいろ誤解を恐れずに書かせて頂きます。ツッコミがあったらどうぞ突っ込んでください。スタート。


チケットが高いということのデメリット

先日行ったコンサートは私は当日券で行きました。
どうやら前々から新聞の招待券とかいろいろあったようで。知らなんだ。。。(TT)

当日券はこのコンサートだけかもしれないのですが、A席とS席のみの販売。
ちなみにA席10000円(0の数は間違えてないよ)、S席はプラス2000円。高いね。
ちなみにちなみにすぐに売れてしまう、一番下のプライスでも恐らく6千円とか7千円。

こんなんでは、そりゃまあ誰もそうそう簡単にクラシックのコンサート行こうとは思わんでしょう・・・(TT)
どんな演奏するのかも知らないし、知らない曲なら尚更「行ったところでつまんないもん聞かされてもなあ。眠くなっちゃうよ」みたいなテンションになっても私は何も言えません。
(極端な話です)

更にはそんだけチケットが高いと「クラシックぅ?金持ちの道楽でしょう」みたいな見方をされても不思議はありません。


ではメリットは

  • お客さんのマナーがしっかりしている
  • 聞く側のモチベーションも違う
  • 売る側もお客さんを選べる
  • 演奏の質が保証されているということでもある(?)
  • (売る側視点ですが)採算がとれる。

例えば楽章間で拍手をするようなお客さんもいないし、咳だって楽章間でしかしない。(その時のお客さんの音量はフォルティシモw)
よくいらっしゃってる人が多いかね。だからそういうマナーとかがわかるのか・・・


モチベーションの話ですが、例えば。みんな、寝ない。笑
自分であの値段を払ってみた感想は「これだけ高い金払ったんだから、意地でも満足して帰るんだ!」でした。
だって学生で1万円って相当の覚悟です。本来はふらっと「そうだ京都に行こう」みたいなのりでいくコンサートではないかもしれません・・・。

お客さんを(売る側が)選んでいる、というのは。そうそう簡単に出せる値段ではないから。
買ってくれるお客さんに満足してほしいからという施策だと受け取ることもできます。
だって1万円出してチケット買ったのに、隣の人がいびきかいて(!)寝ていたなんてことがあったら、演奏に集中出来ません。


それから、それだけお金を取るということは、値段をつける側だって自信がなければしない。
つまり、しっかりした演奏を聞かせてくれることの保証とも言えるのでは。
何も知らない人が行くならば、やっぱり値段が高い=いいものの証拠という考え方は、安いものが世の中に溢れる今だからこそ、まだあるのではないでしょうか。

それ以外でも、そのプライスをつけるのには意味がある。
今回のスロヴァキアのオケの場合、海外からあんだけの人数を日本に連れてきて、しかもツアーをしようというのなら、それの運搬だ人件費だ諸々のお金がどんどこかかる。

今、舞台芸術概論という授業を取っていて、それのオペラの来日公演(引越し公演という表現してたな)についての授業を受けてから、
ああ、オペラで、しかも海外から人も物も来ようものなら、すごくお金がかかるんだなとしみじみ思ったものです。
だからほにゃららオケが来日!というと、値段が高いのです。
という、台所事情を考えると、恐らくあの値段で妥当なのです。


でも結局近づきがたいのか?

しかし聞く側からすれば、そんな提供側の台所事情なんて関係ありません。
それからマナーについてですが、じゃあそういうものを知らないと入れないのね、ああじゃあいいですみたいな。特に日本人は恥じらうことについてとても嫌がる種族のように思いますから・・・。
来たことがない人にそういう空気を味合わせている可能性がある。

誘ってもらう、あるいは無料券でも貰わない限り、来てくれないかもしれません。


しかし、いい音楽をもっと身近に!というコンセプトで何かやろうと思う人がやはり、いるいる。
それがラ・フォル・ジュルネではないでしょうか。(wikiに飛びます)
ちょっとこの関連書籍を近日読もうと思います。そしたらまたこの話をもう1回掘り起こして書いてみようかなと思ってます。
それまでの私の考えのまとめとして、今日書いてます。

ラ・フォル・ジュルネは、まず一つ一つのコンサートが短いこと、チケット価格もお手頃で、演奏は国内外の一流の演奏家たち。
これが最初やった時には、恐らく「へえ〜面白いわねえ〜」みたいなものだったかもしれませんが、今やクラシックファンをじわじわと増やしている、ひとつの要因になってるのではないかと思います。
毎年コンセプトがあって、それにそってコンサートを連日開催しています。
(例えば今年はロシア音楽がメインでした。私が行ったときは民族のハーモニーと題していたものだったような)

あれはすごい企画だなあと思うし、「普段はクラシックなんてなあ、」と躊躇っている人にも、良い入り口として一役買ってるんじゃないかなあと私は思っています。


「来てもらえればわかる」は言い訳です

だってそれは裏を返せば「来てもらえなければわからない」でしょう。
だから、来てもらえれば・触ってもらえればわかる、というのは一種の言い訳だと思うのです。

そもそも、アジア人である私達が容易に西洋音楽(クラシック)を受け入れるなんて、なかなか難しい話だと思いませんか。
いきなりフランスに行って「歌舞伎根付かせようぜ!」といったって、ふっつーに行ったところで「はあー?」です。
誤解を恐れず言いますが。

来てもらえなければわからない。じゃあどうやって来てもらうのか。どうやってわかってもらうのか。
・・・つーかそもそも何をわかってほしいのか?
それ、本当にはっきりしていますか?

売る側・提供する側が何を強みとし、自分たちのしようとしていることがちゃんと伝えられる、自信があれば、聞く側にだってちゃんと伝わると思うのです。
少なくとも提供する側がそれわかってなかったら、伝わるものだって伝わりません。


さて、今度こそお金の話

最近、どこオケの補助金が減らされただとか減らされるだとか、存続の危機だという声があります。
いやー、実際やっぱりそりゃあ・・・ 存続そのものが危ぶまれるってなると「ちょっと待った!」ってなります。はい。

ただ、これを機会にそういう政府とか市議会とかじゃなくて、違うところが援助すればいいのに、と思う。
あるいは、今まで「誰かがサポートしてくれないと僕らやってられないんで」みたいな姿勢があるんだとしたら、それは変えていかなければならない。
そういう転換期にあるのではないでしょうか。


だってですよ。
ただでさえ日本って大赤字ですよね。
国債だ、年金問題だ、うんにゃらかんにゃら。そんな時にサポートしてもらえる余裕が果たしてあるのだろうか・・・


しかし、以前読んだSONYの故大賀典雄さんの本に、こうある。


今の時代は音楽がもう少し大事にされても良いと思っている。(中略) 音楽が文化として栄えていく為には、きちっと印税を払う仕組みを確保しなければならない。
また、文化事業は誰かの援助が必要である。


大賀さんは元は芸大とか行って、音楽を勉強していましたが、
SONYの盛田さんに影響を受け?、ビジネスの世界に転じた人です。


確かに、大事にされたい。そして文化として栄えたいし、みなさんの隣に音楽があれば幸せです。
が、しかし、最低限の生活が保証されないことには、そこにきちっと印税やらお金を払う仕組みなど確保出来ないし、
そういう仕組などがなければ、今度提供する側である音楽家たちが幸せになれない。



音楽ではありませんが、世界の渡辺謙様(なんでここだけ様なんだよ)はやはり彼の著書の中でこう言っている。


災害や戦争が起こると、真っ先に世の中から消えてしまう職業のひとつに役者は位置している。
小さな明日への夢を作っているだけなのだ。
夢を抱けない、余裕のない社会には存在出来ない。
そんな微妙なところで活かされている。
決して威張れる仕事でもなければ、偉くもない。
だが、何かを伝える事だけは出来る。


なのですよ。音楽家も変わらないと思う。一緒だと思います。


実際、去年のあの地震が起きた時、自分の無力さと、同時にいろんな企業が寄付をしていたり、個人でもとあるCEOがごつっと資金援助をしたりボランティアをしてみたり・・・


ふと思ったことがある。
普段からちゃんと稼いでいたなら、こういう時にそのお金で何か他のことが出来るのではないか。

普段から、正しく儲けていれば、そのお金で誰かを助けたりサポートする事が出来るんじゃないだろうか。
それは災害だけじゃなくて、例えば将来の音楽家なのかもしれないし、それはわかりません。


そしてその音楽家が自分の勉強しているもの、磨いてきたものを発揮しようと、それで食っていこうと思ったら、皆様のサポートが必要です。
法外な値段のコンサートはなかなかそうはありません。実際。
むしろあの値段でも利益がどのぐらい出るのか、謎です。

そしてそのチケットを買ってもらおうと思ったら、まずは最低限の生活をできることが条件で、
そしてみなさんのお金をコンサートなどに充てて頂く必要がある。
そのためには、儲けてもらわないといけない。
日本の経済がしっかりしてて、儲けてもらって、豊かになって頂く必要がある。ほどほど頑張ればいいやじゃこういった文化事業は衰退の一途をたどると言っても過言ではないと。そのように思います。(どこの社長口調だ)


みなさんは儲けて、それでチケットを是非!買ってください。
私たちは皆さんの豊かさに一役買います。


・・・ぁんだよダジャレかよ。


その企業がそれこそ文化事業に援助をしてくだされば、なお嬉しい。
私たちはお金のやりくりのことなど気にせず演奏に集中出来るという。ああセレブ。


そのためには、演奏者側にもやるべきことはたくさんあると思います。
「芸術家は理解されないから」と卑屈になってる場合ではありません。
「聞いてもらえないからわっかんないんだよ」と嘆いてる暇はありません。
「CDが売れないから」と言ってる場合でもありません。


・・・どーも小娘が長々と若気の至りで書かせていただきました。
意見、同意、反対、なんでもいいです、ここまで読んで下さった方、いましたらコメントか何かもらえればとても嬉しいです。
なにせ自分の事を自分でそうそう簡単に評価は出来ない。みなさんは私の鏡みたいなものです。というか、鏡になって頂きたい・・・


長くなりました。このへんで。また明日ー。