今、一番発音しづらい芸能人ランキング、不動の1位は「樹木希林」さんです。
きききりん。今私が苦手としている「き」がいっぱい。ホレホレ言ってみ?ふっつーでもちょっと難しいよ。笑
Kです。 でもね、樹木希林さんは好きです。うふふ。
最近読んだ本を2冊紹介。
媚びてる?
うん、すごいタイトルです。ストレート直球!(和訳しただけだね)なタイトル。
慶応の先生です。一部情報によるとイケメンらしいです。笑 の、ジョン・キムさんの本。
中身も直球。
学生向けみたいな色は強いですが(なにせキムさんのゼミの卒業生に贈る言葉、が書籍になりました、みたいな感じのスタートなので)、今もう社会に出てらっしゃる方にも読んでいただきたい。
実は、最初の方はいろんな本に書いてあることとまあそう大きくは変わらないなぐらいのスタンスで読んでいたのですが(失礼!)、彼のすごい熱っぽい言葉に押されて最後のほうまで読んでいたのです。
が、ええ最後までちゃんと読んでよかった。
仕事と向き合う/人生と向き合う/未来と向き合うが、今の自分にはガツッときたのです。
恐らく読むタイミング次第では違う章がガツッとくるんでしょう。
でもちょっと話の膨らまし粉として使わせてもらうのは、Twitterでもちょっと書きましたが、孤独について。
孤独とは、自分と向き合う時間
この本を読む数日前に、ちょと仲間内?で「音楽家って、練習って孤独だよね」というような話をしていて、その時はなんか違和感を感じながらも「まあでも普通はそう考えるのかー」なんて思っていて。で、実際そういうふうにも思われているでしょうし、確かにアスリートみたいに常にコーチと練習するわけじゃないから、そういう人数的な部分でも孤独です。
そこは何ら間違いなく。
ただ、それは打ち勝つものなのかな? みたいな。
私の中では、ですが(なので全然違う考えもありだと思ってます。ご承知おきいただければ。)、孤独とは克服する対象ではなく、ただ自分と向き合う時間の名前であって。
音大生や音楽家は膨大な練習時間という孤独な時間を持っています。(と思う)
彼らは作品を通して、孤独になって作品を通して自己を知る。
ああ、孤独は何かを教えてくれる時間なんじゃないかな。
でも孤独が怖いという。
一人が寂しいからか? いや、そうでもなさそう。
何かなあと思ったら、もしかしたら向き合うことで、自分の中の見たくない自分を
発見してしまうことへの恐れが、孤独から逃れたいという衝動になるんじゃないだろうか。
誰だって自分を綺麗に見せたいし、そうありたいだろう。
そして自分の醜い(と思っている)部分を見つけ出してしまう、まだ見てない何かへの恐怖があるのでは。
醜い部分、なのか、出来ない自分を認めるのが嫌なのか。それが何なのかは人によっても違うかもしれないし何なのかは申しませんが。
最近思う。
なぜアジア人である私が西洋音楽に手を出したんか。というか、出し続けるのか。
ふと合奏の授業の時だったか、「そうなのかもしれない」と思ったのは。
西洋音楽という外の文化に触れることで、外から見た日本を見つめ、更には自国の文化を通して、自分のアイデンティティだとか自分そのものを探し出すことなんじゃないかと。
スウェーデン人はこう、でも私はこう。これこれこーいう文化で育ってきて、こういう考え方を持っている。
そういう事を発見する一つの手段のような。そんな気がしているのです。
サックスは単音ですから、アンサンブルが基本ですが(勿論独奏もあります)、
ピアノは一人が基本。エレクトーンとかもそうですね。
とはいえ、練習はこちらサックスだって一人です。
そして練習の時間は大事です。
自分の足りない技術を補うため? 勿論それもありますが、結局はやはり練習の中で作品を通して自己を見つめるためだと思います。
・・・そんなこと言ってないでフラジオ(高い音を出す裏ワザみたいなものです)の一つでも多く出しやがれ、と言われたらもう泣きますけどw
世界で勝負する?
なんかちょっとタイトルのつけ方が「YONDA?」みたいな感じになってきましたね。笑
この竹内健さんは、東芝から東大の方に行った人で、准教授さんです。准教授「さん」?
技術開発の分野でおりゃー!っと奮闘されているので、いっときあの女性から
「2位じゃダメなんですか?」と言われるその矛先ど真ん中みたいな。
日本語おかしいな。。。
このかたを特に以前まで存じ上げなかったのですが、どこでこの本を探してきたのか。
アマゾンのおすすめみたいなそういうやつだったか。忘れてしまいましたが、なるほど面白い人でした。
面白い経歴(東大(学生)→東芝→MBA留学→東芝→東大(not学生))の人に惹かれていく、何ら面白みない私ですからw うふふ。
頭のいい人たちとは勝負したくない
この文字だけ見ると「まあ、この人自身が2位じゃダメなんですか?」なんて言い出しそうじゃないと思いましたが。違うからね。笑
正攻法で攻めて行って、その分野ど真ん中に行っても勝てない、勝てたとしてもパイを奪い合うだけの消耗戦になってしまう。
だから隙間を狙うようになった、という。
ちょっとこれはわかる気がする。弱気な意味ではなく。
それこそ、私がただサックスの実力勝負だけで勝負したところで、恐らく世界に出ていっても勝てません。
(勿論、勝ち負けではないというのはわかっていますが、ここではあえて。)
もし勝てたところで、ぶっちぎりでイエーイ!っていうふうにはならないでしょうし(それだけ絶えず進化していってるという事でもあるのだが)、
先は見えている。 し、そこには今存在しているだけのチャンスしかないわけで。
新しい何かを生むには、結局誰かがそういう隙間に手を突っ込んでいくことが大事なのかもしれないし、その一方で基礎を固めていくのも大事なのかもしれない。
答えはきっとありませんが、間違いなく言えるのは全員が同じ方法でやったところで先は見えている、その先はないという事。
何も、100人が100人全員が同じ方法、同じ方向に向かってやる必要はないと思うんです。
邪道だとかなんだと言われようが、それで突き抜けてしまえばいいんじゃないかと思ってます。
勿論、これも先ほどの孤独がうんぬんと一緒で、違う考えがあっていいと思っていますが。
むしろなければそれこそ先はない・・・
あとは違う話なんですが。
彼が東大に戻ってきた時の話で、学生に言った言葉。
君たちは学費を払っているから教育を受ける権利はあるけど義務はないよ。
そうです義務教育じゃないもん。
でもこれ、結構わかってる大学生って少ないと思います。
ん、義務教育じゃないというところでは高校生でもそうだね。
知ってたけど、その権利をお金を払っているくせに放棄してるような学生のまあなんと多いこと。
いや、私も言えないのかもしれませんけれど、・・・うーん目に余るぜっていう子は多いように思う。と、いうふうに言う先輩が少なくないのですよ。
ちなみにこういう事を言うと、だいたい「そんなもんだよ」なんて話になるんですけど、
なんでそれが当たり前になったのか?
そりゃーね、大学側もひでーなwなんて思うことあります。
学務とかが行き当たりばったりとかだと「テメーの給料誰が払ってると思とるんじゃ」ぐらい思わないでもないです。
が、しかし権利を行使してるはずのこちら側に全く問題ないと言えるのか?
教育を受けるこちら側は先生に教育を与えてもらえるだけの努力を(学費以外に)しているのか?
人間、お高くとまって「ほれ、金出したんだから教育しやがれ」なんていう輩を誰が教育したがるでしょう?それただの物好きだよ。
なんとなく、そんなことを考えてました。
とはいえ、私も最近人間としてこのままではヤバイなと。そんなことを思ってます。
最も、私がいい人間になる義務はないはず。がしかし、やはり周りに何かを与えられるような人間になりたい。
それを思うと、自己研鑽を惜しまず、そして自分が持っているものを大事にして、新しいところへ踏み込んでいく勇気をいつでも持ちたい、そんな今日この頃です。
0 件のコメント:
コメントを投稿