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2014年5月18日日曜日

最近の読書話。

ご無沙汰でした。

3年になって、ちょっとバタバタとしていたら、もう5月も終わりに差し掛かってきました。
やっぱり、facebookとかtwitterって手軽なんですね。って改めて思ったりして。

最近の読書の備忘録として。


文化に投資する時代



よく学校の図書室を利用するんですけど、これは学校の図書館でフラリとしていたところ、「あ、なんかいいな」と思って。
(いいなポイント→ 本が赤い)
ちなみに帯はなかったから、鷹の爪とか読んでみるまで全く気が付かなかった。笑


これは広告業界から金融業界にいった人、金融から映画の世界に?飛び込んだ人がそれぞれの仕事や立場から考えたことや経験したことを書いていくというもの。
先に言うと、これ結構面白かった。

広告業界と金融なんて水と油、みたいな感じだし、考え方が極端に違ったりするのだけど(お金に関することとか顕著)、だからこそ、この著者のような橋渡し役が本当に重宝されるのでしょう。
ちなみに音楽の世界やフリーランスの人たちだと、それこそギャラのこととか聞きづらくて、とかお金でやってるわけじゃないから、となってしまう傾向にあると思うのですが(私も実際その感じがある)、それは裏を返せばお金にルーズってこと。
勿論そういう気持ちがあるわけじゃなくても、根本的な考え方が違うと、そういうふうに取られる事がある。

スティーブ・ジョブズが「理系と文系の交差点に立つ人」が必要だのどうだのと言っていたけど、要はそういう事、というか・・・
まさにこの著者がそういう人であり。


映画が趣味で、金融の世界に身を置くもう一方の著者は、
消費者行動が変化してきたという話(*)に変わってきた)や、
エンタメ業界の流れも、成長(共感できる、リラックス出来る、他)を拠り所にしてきたが、コミュニケーションのために消費されるようになってきた、という話であったり。

*AIDMA(Attention→Interest→Desire→Memory→Action)からAISAS(Attention→Interest→Search→Action→Share)へ


この話は確かこの本にもあった。
 

どの業界においても、この流れはきっと同じで、これを元に今頃広報をする人とかっていうのは戦略を練っているのでしょう。

でもそういう理論?的なことだけではなく、意外と(といっては失礼だけど)血が通った言葉なんかもあって。

運やツキは、志と人の縁を大切にすることで巡ってくる

と述べていますが、本当にそのとおりだと思う、今日このごろです。


ちなみにどうして帯が鷹の爪なのか(ちゃんと理由があります)、気になる方は是非お手にとって読んでみてください ;)



文化経済学のすすめ




実はこの本、平成3年に出版されたもので、・・・私の生まれた年でもあります。汗
余談ですがこの本、10年以上図書館で誰にも借りられず眠っていたようで・・・

ただ驚くことなかれ。
案外書いてあることは今に通じる、というか今まさに企業のひとたちがやってるぞ、というようなことだったり、やろうとしていることだったり。

CI(コーポレート・アイデンティティ)の話や、そのブランディングをする上で音楽や芸術が利用されることだったりについて書いている。

しかし面白いのは、この芸術を積極的に社会生活に取り入れようとしているこの国の動き、社会の動きの中に、私達世代のゆとり教育のはじめが見えたように思う。

というのは、そもそも何故企業はイメージをあげようとするのか?
それは、今までの働いてお金を稼いで、そのお金を消費する事で日々をやり過ごすというな味気ない社会に終止符を打たんとして、ということなのかもしれない。
というのは、この本の「ものの『ゆたかさ』からココロの『ゆたかさ』へ」という話に通じる。

この会社で働くことで、社会にこういう事が出来て、こういうやり甲斐(=ココロの豊かさ)を得られる、と。


だから、そのいわゆるゆとり教育というのも、今までの詰め込み型の味気ない教育に終止符を打たんとして始まったものであり、その考え方自体は間違ったものとは思わずとも結果的には上手くいかなかった。(から、揶揄される)
と、そういうことだろうか。 深読みかな。

でも何がいけなかったんだろう?
台形の面積の求め方を知らないのがいけないのか?(ちなみに私は知っている)

ていうか別にゆとりだからと言って、詰め込み型に結果的には変わっていない。
なので、根本的に考えるということが圧倒的に欠如しているのか、確かに最近想像力がないなあと思う場面はしばしばある。自分にも他人にも。(スイマセン。)

その想像力を育てるのに芸術は有効なのか?
というか、想像力が豊かになれば、日頃の仕事にも良く作用し、また芸術文化普及に何か道筋は出来るのか?

供給側の、芸術活動をする上での問題として、この本の中では
いい企画を思いつく人がいない
というのをトップに上げていますが、あくまで平成3年時点での話。
今はむしろ、どうなのでしょう。 実演家も増えた。お客さんもきっとこの頃よりは育ってきたように思う。

私は多分、受容出来る芸術(エンタメ)が増えて、多様化したことがやはり大きいのかな?とおもうのですが、果たして。
多様化した=音楽に興味がある人が減った、ではないと思いますから、やっぱり仕掛け方がちょっと違うのかなあと。


あと金銭報酬についてのはなし。
日本には元々、お稽古事の文化があり、何かを習うことはごく普通に行われてきたように思います。(茶道や華道、・・・etc)
しかしそれらはいずれも、余裕のある人たちの嗜みのようなものでしたから、芸術なども「ぜいたく」とみなされ、ぜいたくを国や財団が支援する必要はなく、「贅沢を求める人間に報酬など少なくて当然だ」という意識を支配的なものにしているのでは、と。

恐らく、そうです。

しかしそれは、違うのではないか。

この本のなかで、「それはタダ乗りしているようなものではないのか」と言う。
タダ乗り、に対する意識の違いはそれぞれあるでしょうが、私はやはり何かをしてもらった/与えたなら、それに対する報酬や対価は払うべき/貰うべきであり、贅沢は敵だというような考えよりは、贅沢は素敵だという考え方に21世紀はシフトしてもいいんじゃないかと考えている。


この本が出版されたのは1991年。 現在、2014年。
この後、どのように芸術文化は変化し、生き残り、あるいは衰退していくのだろうか。



ところで、この2冊の本。
どちらも本の中にしおりがなく、大体そういう時は何かしらのカードとかを挟んでいるのですが、たまに自分が借りた時にレシートが入ってたり、逆に自分が挟んだまま返してしまうことがあります。

これ、ちょっと要注意です。。

以上、診察券を挟んでいたがために矯正歯科にしばらく電話が出来てなかったKでした。
しかし戻ってきて良かった・・・汗(学校の図書館で良かったwww)

2013年3月26日火曜日

ART Art ARt aRT arT ArT aRt art

友達が、

「上野とか表参道とかってさ、なんか現代の文化人が集う感じだよね。笑」

と言ってて、なんかその“文化人”て響きがちょっとどこか古風で面白いなあなんて思ったり。あ、Kですこんにちはコンバンハ。

今、News ZEROで先日行われていた六本木アートナイトの話があったので、ちょっと思い出したように更新してみます。
てことで、サックス関連の話ではありませんよw


One of my friend said "Ueno, Omote-sando, and other town around Tokyo are gathered by cultured people.", and I thought the words "cultured person(people)" sounds interesting.

....(・∀・)...


Today, I'm gonna write about my art experiences last week.
Last weekend, the event, Roppongi art night had been occurring around Roppongi.
Even it is all-night event, I couldn't stay longer because I had a performance (with Baritone!) next day.


デザインあ

今東京ミッドタウンの21_21(とぅーわん とぅーわん、だったかな)でやっている、デザインあ展に行きたいなあと思って、
それを友達に言ったら見事にシンクロしてくれたので、先日行って参りました!!(これは週末じゃないんですが。)

ちなみにそのデザインあてのは、NHKの番組で、朝早くにやっているのでたまーにしか見れてないんですけどw すごい面白い番組ですよ。



Exhibition of Design Ah

I went to an exhibition of TV program, design Ah with my friend.
This TV program have been streaming early morning on Saturday, and I almost missed :(
But I love this TV show's concept, how to show, and idea of creativity.

This exhibition is showing a lot of creative stuff by this TV show and add many stuff which is able to try like this TV program!




↑いや、これはワタシが個人的に「あ?w」て思ったのですよ。笑


ミッドタウン前に。


TECHNE

これもやはり同じくNHKのEテレのテレビ番組の。TECHNEの展覧会みたいなのです。
同じくミッドタウンでやってるんですけど、こちらはちなみに入場無料。



映像の撮り方の方法を紹介するという番組みたいで、実はこれ行く前日まで知らなかったのですが。。。汗
すんごい面白いですよ。

例えば、映画マトリックスの有名な銃弾をスローモーションで避けるシーン。(もはやパロディーみたいな避け方の、アレ)
あれもやっぱり特殊な技法を使っていて、こういうことやってますみたいな事をいろんな映像使って教えてくれるんです。

他にもHPに行くといろいろ映像見れますので、是非。
個人的には、「テクネ・トライ」から見れるやつの、ストップモーション、クラウドソーシングの上のほうの動画が特にオススメです。面白い。


This is also a exhibition of TV show, TECHNE.
I didn't remember I found this even I never watched this program, but it is also interesting exhibition.

TECHNE, a TV show, have been showing how to make a film and technique of making a film.
There are a lot of method of making and this TV show and exhibition have been explaining about these method by fun movies.
For example, do you remember a movie "the matrix"? Hero, Neo(?) curved his body to avoid shells from enemy.
In this scene, there are some extremely interesting method of making film, this TV show told.
I don't remember well :( Sorry!



六本木アートナイト

翌日に本番があったので、さすがに夜遅くまではいられませんでしたが・・・(来年はオールナイトしてやりたい・・・!!)。

G tokyoを見て、その後桜を見ようと思ってミッドタウン内を歩いていたら、あーらびっくり。


ぬぁぁぁんじゃこりゃーーーーー

巨大な矢印のオブジェ。




街に現れる船


ふ〜〜〜ね〜〜〜〜!!!!


何やらいろいろおもろかったです。
もうこの界隈が活気づいてて。

実は昼前からいたのですが、やっぱり夜にかけて人がぶああああっと。
好奇心刺激された1日でした。 ていうか人多かったーw



Roppongi Art night
As I told you at first, I went to the Roppongi art night in this weekend.
There are crowed by so many enlivening people in Roppongi.

Even though I'm not familiar with contemporary arts, I was excited and inspired.
An exhibition, G tokyo, there were a lot of arts created by Japanese artists.
I have experienced to see some contemporary arts by international artists and Japanese, I never been such a exhibition such as G tokyo.

All artists are Japanese? wow.


And out of building, there are some boat for this art night.
I couldn't check where these boats go, when I saw TV, a news TV show featured this art night and finally I could see where the boats go:)





そんなに現代アートとか、良さがどこまでわかってるのかとか言われると「うーん」という感じではありますが、
今回G tokyoていうまさに現代アートのフェスみたいなものに「うーん」とか言ってるくせに行ったんですけど、行ってみたら面白かったです。

確かに、なんというか芸術に対する造詣は欲しいんですが、そればっかりで頭でっかちっていうよりは、今はまだ感覚で、なんとなくこれ面白いなあ、じゃあ何が面白いの?(今でしょ、とか言わない) ・・・みたいなのを愉しんでいたいですね。


As I told, I'm not familiar with contemporary arts, but I want to be.
Because even these arts feel like difficult to understand, it is sometimes fun and I like the fun moment.

Now I don't have any knowledge about contemporary arts, so I want to learn..
Hoever, in the meantime, I just want to see some arts and get feeling :)

2012年6月29日金曜日

これからの音楽の話をしよう


コンサートの話は昨日英語で書いたのですっ飛ばします。
今日はその行った時思ったこと。主に音楽をビジネスとして成り立たせることがうんだらとかそういう話です。

誰もしないから、書きます。

そういうお金の話とか嫌いな人はどうぞ、ウィンドウを閉じてください。それがお互いのためです。ちなみに具体的な施策があるわけでもありません。
ただ私は、もし職業音楽家をやりたいなら、プロの音楽を聞きたいなら(私からすれば「聞いてくれるなら」になる、と、いいなあ。笑)
この問題は避けては通れないし、むしろ避けてはいけないと思います。

いろいろ誤解を恐れずに書かせて頂きます。ツッコミがあったらどうぞ突っ込んでください。スタート。


チケットが高いということのデメリット

先日行ったコンサートは私は当日券で行きました。
どうやら前々から新聞の招待券とかいろいろあったようで。知らなんだ。。。(TT)

当日券はこのコンサートだけかもしれないのですが、A席とS席のみの販売。
ちなみにA席10000円(0の数は間違えてないよ)、S席はプラス2000円。高いね。
ちなみにちなみにすぐに売れてしまう、一番下のプライスでも恐らく6千円とか7千円。

こんなんでは、そりゃまあ誰もそうそう簡単にクラシックのコンサート行こうとは思わんでしょう・・・(TT)
どんな演奏するのかも知らないし、知らない曲なら尚更「行ったところでつまんないもん聞かされてもなあ。眠くなっちゃうよ」みたいなテンションになっても私は何も言えません。
(極端な話です)

更にはそんだけチケットが高いと「クラシックぅ?金持ちの道楽でしょう」みたいな見方をされても不思議はありません。


ではメリットは

  • お客さんのマナーがしっかりしている
  • 聞く側のモチベーションも違う
  • 売る側もお客さんを選べる
  • 演奏の質が保証されているということでもある(?)
  • (売る側視点ですが)採算がとれる。

例えば楽章間で拍手をするようなお客さんもいないし、咳だって楽章間でしかしない。(その時のお客さんの音量はフォルティシモw)
よくいらっしゃってる人が多いかね。だからそういうマナーとかがわかるのか・・・


モチベーションの話ですが、例えば。みんな、寝ない。笑
自分であの値段を払ってみた感想は「これだけ高い金払ったんだから、意地でも満足して帰るんだ!」でした。
だって学生で1万円って相当の覚悟です。本来はふらっと「そうだ京都に行こう」みたいなのりでいくコンサートではないかもしれません・・・。

お客さんを(売る側が)選んでいる、というのは。そうそう簡単に出せる値段ではないから。
買ってくれるお客さんに満足してほしいからという施策だと受け取ることもできます。
だって1万円出してチケット買ったのに、隣の人がいびきかいて(!)寝ていたなんてことがあったら、演奏に集中出来ません。


それから、それだけお金を取るということは、値段をつける側だって自信がなければしない。
つまり、しっかりした演奏を聞かせてくれることの保証とも言えるのでは。
何も知らない人が行くならば、やっぱり値段が高い=いいものの証拠という考え方は、安いものが世の中に溢れる今だからこそ、まだあるのではないでしょうか。

それ以外でも、そのプライスをつけるのには意味がある。
今回のスロヴァキアのオケの場合、海外からあんだけの人数を日本に連れてきて、しかもツアーをしようというのなら、それの運搬だ人件費だ諸々のお金がどんどこかかる。

今、舞台芸術概論という授業を取っていて、それのオペラの来日公演(引越し公演という表現してたな)についての授業を受けてから、
ああ、オペラで、しかも海外から人も物も来ようものなら、すごくお金がかかるんだなとしみじみ思ったものです。
だからほにゃららオケが来日!というと、値段が高いのです。
という、台所事情を考えると、恐らくあの値段で妥当なのです。


でも結局近づきがたいのか?

しかし聞く側からすれば、そんな提供側の台所事情なんて関係ありません。
それからマナーについてですが、じゃあそういうものを知らないと入れないのね、ああじゃあいいですみたいな。特に日本人は恥じらうことについてとても嫌がる種族のように思いますから・・・。
来たことがない人にそういう空気を味合わせている可能性がある。

誘ってもらう、あるいは無料券でも貰わない限り、来てくれないかもしれません。


しかし、いい音楽をもっと身近に!というコンセプトで何かやろうと思う人がやはり、いるいる。
それがラ・フォル・ジュルネではないでしょうか。(wikiに飛びます)
ちょっとこの関連書籍を近日読もうと思います。そしたらまたこの話をもう1回掘り起こして書いてみようかなと思ってます。
それまでの私の考えのまとめとして、今日書いてます。

ラ・フォル・ジュルネは、まず一つ一つのコンサートが短いこと、チケット価格もお手頃で、演奏は国内外の一流の演奏家たち。
これが最初やった時には、恐らく「へえ〜面白いわねえ〜」みたいなものだったかもしれませんが、今やクラシックファンをじわじわと増やしている、ひとつの要因になってるのではないかと思います。
毎年コンセプトがあって、それにそってコンサートを連日開催しています。
(例えば今年はロシア音楽がメインでした。私が行ったときは民族のハーモニーと題していたものだったような)

あれはすごい企画だなあと思うし、「普段はクラシックなんてなあ、」と躊躇っている人にも、良い入り口として一役買ってるんじゃないかなあと私は思っています。


「来てもらえればわかる」は言い訳です

だってそれは裏を返せば「来てもらえなければわからない」でしょう。
だから、来てもらえれば・触ってもらえればわかる、というのは一種の言い訳だと思うのです。

そもそも、アジア人である私達が容易に西洋音楽(クラシック)を受け入れるなんて、なかなか難しい話だと思いませんか。
いきなりフランスに行って「歌舞伎根付かせようぜ!」といったって、ふっつーに行ったところで「はあー?」です。
誤解を恐れず言いますが。

来てもらえなければわからない。じゃあどうやって来てもらうのか。どうやってわかってもらうのか。
・・・つーかそもそも何をわかってほしいのか?
それ、本当にはっきりしていますか?

売る側・提供する側が何を強みとし、自分たちのしようとしていることがちゃんと伝えられる、自信があれば、聞く側にだってちゃんと伝わると思うのです。
少なくとも提供する側がそれわかってなかったら、伝わるものだって伝わりません。


さて、今度こそお金の話

最近、どこオケの補助金が減らされただとか減らされるだとか、存続の危機だという声があります。
いやー、実際やっぱりそりゃあ・・・ 存続そのものが危ぶまれるってなると「ちょっと待った!」ってなります。はい。

ただ、これを機会にそういう政府とか市議会とかじゃなくて、違うところが援助すればいいのに、と思う。
あるいは、今まで「誰かがサポートしてくれないと僕らやってられないんで」みたいな姿勢があるんだとしたら、それは変えていかなければならない。
そういう転換期にあるのではないでしょうか。


だってですよ。
ただでさえ日本って大赤字ですよね。
国債だ、年金問題だ、うんにゃらかんにゃら。そんな時にサポートしてもらえる余裕が果たしてあるのだろうか・・・


しかし、以前読んだSONYの故大賀典雄さんの本に、こうある。


今の時代は音楽がもう少し大事にされても良いと思っている。(中略) 音楽が文化として栄えていく為には、きちっと印税を払う仕組みを確保しなければならない。
また、文化事業は誰かの援助が必要である。


大賀さんは元は芸大とか行って、音楽を勉強していましたが、
SONYの盛田さんに影響を受け?、ビジネスの世界に転じた人です。


確かに、大事にされたい。そして文化として栄えたいし、みなさんの隣に音楽があれば幸せです。
が、しかし、最低限の生活が保証されないことには、そこにきちっと印税やらお金を払う仕組みなど確保出来ないし、
そういう仕組などがなければ、今度提供する側である音楽家たちが幸せになれない。



音楽ではありませんが、世界の渡辺謙様(なんでここだけ様なんだよ)はやはり彼の著書の中でこう言っている。


災害や戦争が起こると、真っ先に世の中から消えてしまう職業のひとつに役者は位置している。
小さな明日への夢を作っているだけなのだ。
夢を抱けない、余裕のない社会には存在出来ない。
そんな微妙なところで活かされている。
決して威張れる仕事でもなければ、偉くもない。
だが、何かを伝える事だけは出来る。


なのですよ。音楽家も変わらないと思う。一緒だと思います。


実際、去年のあの地震が起きた時、自分の無力さと、同時にいろんな企業が寄付をしていたり、個人でもとあるCEOがごつっと資金援助をしたりボランティアをしてみたり・・・


ふと思ったことがある。
普段からちゃんと稼いでいたなら、こういう時にそのお金で何か他のことが出来るのではないか。

普段から、正しく儲けていれば、そのお金で誰かを助けたりサポートする事が出来るんじゃないだろうか。
それは災害だけじゃなくて、例えば将来の音楽家なのかもしれないし、それはわかりません。


そしてその音楽家が自分の勉強しているもの、磨いてきたものを発揮しようと、それで食っていこうと思ったら、皆様のサポートが必要です。
法外な値段のコンサートはなかなかそうはありません。実際。
むしろあの値段でも利益がどのぐらい出るのか、謎です。

そしてそのチケットを買ってもらおうと思ったら、まずは最低限の生活をできることが条件で、
そしてみなさんのお金をコンサートなどに充てて頂く必要がある。
そのためには、儲けてもらわないといけない。
日本の経済がしっかりしてて、儲けてもらって、豊かになって頂く必要がある。ほどほど頑張ればいいやじゃこういった文化事業は衰退の一途をたどると言っても過言ではないと。そのように思います。(どこの社長口調だ)


みなさんは儲けて、それでチケットを是非!買ってください。
私たちは皆さんの豊かさに一役買います。


・・・ぁんだよダジャレかよ。


その企業がそれこそ文化事業に援助をしてくだされば、なお嬉しい。
私たちはお金のやりくりのことなど気にせず演奏に集中出来るという。ああセレブ。


そのためには、演奏者側にもやるべきことはたくさんあると思います。
「芸術家は理解されないから」と卑屈になってる場合ではありません。
「聞いてもらえないからわっかんないんだよ」と嘆いてる暇はありません。
「CDが売れないから」と言ってる場合でもありません。


・・・どーも小娘が長々と若気の至りで書かせていただきました。
意見、同意、反対、なんでもいいです、ここまで読んで下さった方、いましたらコメントか何かもらえればとても嬉しいです。
なにせ自分の事を自分でそうそう簡単に評価は出来ない。みなさんは私の鏡みたいなものです。というか、鏡になって頂きたい・・・


長くなりました。このへんで。また明日ー。

2012年6月20日水曜日

トーマス・デマンド展


学校で、芸術特別研究?とか言うのがありまして。
学内でのコンサートに何回行けーとか(学校にはホールが2つありまして、公演をやっているのです。学生が出演するものから、外部からどえりゃー人がくるものまで様々。)
外部のコンサートに1回以上(少なッ)行けー、とか。

そんで、美術展にも1回以上行けっていうのがあるので。
別にお金が出るわけじゃありませんけれど(笑)、せっかく行ってみようかなと思ったものがあったので、行ってみることにしました。

最新号のBRUTUSに載ってて、ちょっと興味があったのです。
トーマス・デマンド展。(東京都現代美術館のページに飛びます)


ほぼ何も知らずに行ったのですが、面白かったです。
このトーマス・デマンドさんてのは、ドイツ現代美術界を代表する一人でありまして、
社会的、あるいは政治的事件の写真なんかを見て、それをほぼ原寸大で再現するんです。で!
(紙っつっても厚紙とかね。さすがに印刷用のペラい紙とかそんなんばっかじゃないはず・・・はず・・・)
それを写真や映像に収めるのです。


その題材となる写真というのは、新聞がメインなのかな?と思いきや、写真共有サイト「Flickr」とかもあったりするからびっくり。
やはり、ドイツ「現代」美術・・・!



え?これ紙??と疑うほどのクオリティだったり、すげー細かい〜なんて感動するという見方もあり、
更にこの個展の面白いところは、誰もが恐らく2周するところ。

というのは、
何も知らずに中に入って、まずはぐるーっと作品を見る。
作品の横にはタイトルと何年の作品か、ぐらいしか書いてなくて、「やっぱり現代アートは難しいのお〜」とかぼやきながら(心のなかで)、とりあえず回り終えるのですが、
その終わった頃に冊子がおいてありまして、「今度は読んで、どうぞ」って書いてある。

次は解説片手に見てみる。
そうするとさっきまで「わかんないのお〜」とか言ってた作品が全然違う意味を持って私の前に現れるのです!あーら不思議!

先入観って怖いねーwと思いつつ、こういう解説ないとやっぱりダメなのかしらーwなんて思いつつ。

個人的には「制御室」というタイトルのつけられたものと、
今回この個展の目玉?とも言える、「パシフィック・サン」(これは映像作品)が面白かったです。


ディテールがまじすげえ〜とかそういうのは恐らくデフォルトで、・・・ていうかそこを伝えたいんじゃないんだっつーの、みたいな。
その写真を作品のモチーフとして選んだ意図、なぜその写真を原寸大で再現し、撮影するのか。それで何を伝えたいのか。


別にわたくし現代アートが好きなわけじゃないんですけど(とかいって嫌いなわけでもありませんが)、
やはり現代に私も生きてるのでっていうのがあるのかなあ。なんか行ってしまうんですよねえ。

あ、でも国立新美術館は建築物として好きだから行ったみたいなのはあった。かつて。
今日行った清澄白河の東京都現代美術館も好きですよ。


また狙ってるのがいろいろあるので・・・ いろいろ行ってみようと思います。いろいろ。
以上、森美術館に行ってみたい。Kでした、また明日ー。